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パウィニーさん |
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強い意思に運が味方し、「ドナーに会いたい」という願いが実現
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ローイエット県出身のパウィニーさんは現在、看護士養成専門学校の4年生です。陽気で行動的な女の子だった彼女は小さい頃両親が離婚し、2人とも他の県に去ってしまいました。そのため、祖父母と一緒に暮らし、農作業や家事を手伝ってきました。そのとき以来、パウィニーさんにとって祖父母が両親になりました。苦しい生活でしたが、中学に進む際、運良く日本人のドナーから奨学金の提供があり、中学校に3年間通うことができました。
松下信也さんは1995年にアユタヤに工場を建設中のホンダ四輪製造会社の社長としてタイに赴任し、ダルニー奨学金を支援しました。そして97年度の奨学金がパウィニーさんに提供され、彼女の人生が大きく変わったのです。
パウィニーさんが奨学金を手にしてから約9年後の今年8月、2人は松下さんが出張でバンコクに来る際にいつも滞在するホテルのロビーで会いました。支援をしている間、証書と一緒に送られてきた写真の顔を覚えていた松下さんは、彼女の顔を見た瞬間、「あのときの奨学生の女の子だ」と思ったそうです。写真の顔の特徴が残っていたからです。
奨学生だった頃、パウィニーさんは松下さんから文房具セットのプレゼントを受け取ったことがあります。「奨学金をもらえると分かったときも、もちろん嬉しかったのですが、それ以上に松下さんから送られた文房具セットのプレゼントが忘れられないぐらいに嬉しかったのです。誰からもプレゼントを貰ったことがなかったからです。私のことを考えてくれる人がいるんだなあと思って」。そして、プレゼントを受け取ったとき、「いつの日か、日本を訪問するチャンスがあるかもしれないから、日本語を勉強したい」と思いました。
そして今年の夏、その夢が実現しました。日本で開催されたJICA主催の地域保健看護セミナーに参加する20名の生徒に選ばれ、来日したのです。「セミナー参加資格を得る面接試験のとき、ダルニー奨学金について話をし、なぜ私が日本に行きたいのかを説明しました」。そして合格。さらに幸運なことに、そのセミナーの通訳が、研修旅行やタイ人の奨学生来日などの機会にしばしばお手伝いをしていただく江田優子さんでした。パウィニーさんは「マツシタノブナリ」というドナーの名前をしっかり覚えていて、江田さんにその名前を告げました。江田さんは早速日本民際交流センター事務局に伝え、日本とタイの事務局が連携して松下さんを必死に探して連絡し、今回の対面となりました。
パウィニーさんは松下さんに会うため、バンコクから約700キロ離れた南部スラーターニー県にある学校の寄宿舎からバスに10時間乗って来ました。2人にとっては本当の家族との再会を果たしたような感激をしました。松下さんは、パウィニーさんがこんなに立派に成長され、自分の支援が期待以上に報われたことに、何度もパウィニーさんの手を握ってお礼を言っていました。
(2006年9月、ダルニーニュース8号より)
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